『多年俳諧好きたる人より、外(ほか)の芸に達したる人、はやく俳諧に入る』
これは松尾芭蕉の門人、服部土芳(はとりどほう)が書いた『三冊子(さんぞうし)』にある芭蕉の言葉です。
長年、俳句が好きでたくさん作ってきた人より、絵や小説など、別の芸術を極めた人の方が、早く本当の俳句の世界に入ることができる、という意味です。
芸術の世界では、技術が上がれば上がるほど作品がつまらなくなると言う、技術のパラドクスが存在します。
良い作品を作ろうと、身につけた技術を駆使して体裁を取り繕うあまり、表現からその人らしさが消えて、凡作しか作れなくなるのです。
この状態に陥ると、ただ他人から褒められる良い句を作ることだけに目が向き、俳句を作る楽しさが消えて、疲れ果ててしまいます。
このような巧者の弊害に陥ることを防ぐためには、別の芸術の分野にも秀でて、そこから獲得した経験、境地を俳句作りに役立てることだ、ということです。
実際に、松尾芭蕉と並び称される与謝蕪村などは、画家としても有名な人で写実と空想が一体になった独特の俳句を残しています。また、文豪として知られる夏目漱石は、正岡子規の影響で俳句作りにも励み、数々の佳作を残しています。
正岡子規も新聞記者として文章を書くことに熟達し、小説、評論、随筆など、多方面で活躍しています。
もっとも正岡子規は、小説家としては芽が出ず、高浜虚子らに「僕は小説家ではなく詩人を目指す」といった手紙を出していますけどね。
俳句作りに行き詰まりを感じた時などは、視野狭窄に陥っているかも知れないので、他の分野の芸術にも手を伸ばして、視野を広げてみるのが良いでしょう。