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俳句の作り方、歴史、俳人を探求。日本俳句研究会

管理人の紹介

 はじめまして。
 かぎろいと申します。
 職業はプロのライター、サブカル系の作家です。
 日本語の美しさ、奥深さというのが好きで、学生時代から本の虫であったのですが、

 俳句は、結婚後、30歳になって始めました。

 私の妻が、日本文化の好きな人で、大学の文学部で俳句を研究していたこと、義母が俳句歴15年というベテラン俳人であったことが影響し、俳句を習うようになりました

 最初は、俳句など、まったく興味がなかったのですが、足が悪くて家に閉じこもりがちな義母とコミュニケーションを取るために作り始めました。

 妻の実家は、近いところにあったので、たまに顔を出すことがあったのですが、ご両親と年が離れていると、話が合わないことが多く、どう話せば良いのか、戸惑っていました。
 そんな時、妻から義母は、かつて句会に15年以上所属していたという話を聞き、それなら俳句でも作ったら話の種として使えるだろう、と考えたのが、きっかけでした。

 義母のところに俳句を作って持って行き、あるいは、メールで送って、感想やアドバイスなどをもらうようになりました。
 義母は遠慮して、あまり批判めいたことは言いませんでしたが、あまりに下手くそな句を作っていたので、妻からは、呆れられ、がんがん指摘をもらいました。

 そうこうするうちに、草木や花、鳥など、仕事で忙しい毎日の中で無視してきた四季の自然の美しさや、情景を表現する俳句の魅力が徐々にわかってきました。

 俳句とは、効率やスピード、お金といった即物的な価値観とは対照的な、のんびりした、実にスローライフな趣味だということに気づいたのです。

 私の仕事はパソコンを使った作業がメインで、電子機器に朝から晩まで囲まれた生活をしています。無味乾燥したディスプレイに写る数字や事柄だけを追っていると、どうも生身の人間として、自然の中で生きているという実感が薄らぐような気がしてしまいます。
 しかし、外に出て、景色の美しさ、道ばたの花などに触れ、そこで生まれた小さな感動をとどめておくために俳句を作ると、遠く離れていた自然との距離が縮み、心が和らぐような感じがしました。

 毎日、同じ事の繰り返しで、仕事は片付けても片付けても、次々に湧いてくる一方で、疲れるなぁ、こんなんで生きている意味があるんだろうか? と考えていたのですが、その時、感じたことを俳句として残していくことを続けていると、単調に思える日々にも、小さな感動が埋まっていることに気づきました。

 俳句とは、毎日の暮らしの中で、特に印象にこったことを綴っていく、日記的な意味もあるのだなぁ、と思います。
 一見、古くさく思える俳句ですが、ネット上のブログとも親和性が高いのではないでしょうか?

 そこで、もっと俳句作りを楽しんでみよう、俳句の良さを、同年代の若い人にも伝えて行きたいと思い、このサイトを立ち上げました。

 俳句とは、とにかく堅苦しい感じがして、敷居が高い印象がしますが、名句を作ろうなどと気負わなければ、人生を楽しくしてくれる気軽な趣味として楽しめます。また、高齢者に愛好家が多いので、お父さんお母さんと、どう接して良いのかわからない場合、良い仲介役になってくれます。

 「かぎろい」というのは、聞き慣れない言葉ですが、冬の寒い日の朝早くに東の空にできる朝焼けのことです。

 

 もともと、妻が昔作っていたブログで使用していたハンドルネームなのですが、良い名前だったので、もらってしまいました。