俳句の大事な約束事として、『季語を入れる』というのがあります。
俳句は、五七五の十七音の定型中に季語入れることによって成立します。
このような約束事に囚われない自由律俳句というのもありますが、一般的ではありません。
季語とは、春、夏、秋、冬、新年の五つの季節を象徴的に表す言葉です。
例えば、『桜』といえば、春を代表する花で、四月初旬頃の光景や空気を連想すると思います。
これが季語が持つ力です。
さまざまの事思ひ出す桜かな
松尾芭蕉
『桜』という季語を入れることによって、俳句の中に深い世界の広がりや、時の流れを感じ取ることができ、作品に深みが増すのです。
季語は次の3つの特性を持っていると言われます。
・季節感
・連想力
・象徴力
昭和の名俳人、石田波郷(いしだ はきょうは、その主宰誌「鶴」の戦後復刊第一号(昭和二十一年三月号)中で「俳句は生活の裡に満目季節をのぞみ、蕭々又浪々たる打坐即刻のうた也」と述べました。
日本人は季節の移り変わりと共に生きており、俳句はこれを詠った物という意味です。
季節を賛美することは、日本の詩人たちが古来から行なって来たことで、905年(延喜5年)に醍醐天皇の勅命によって、優れた短歌を集めて作られた『古今和歌集』は、春歌、夏歌、秋歌、冬歌といった季節の詩から始ります。
鎌倉幕府が成立する頃になると、連歌の最初の歌(発句)には、必ず「季の詞」(季語)を入れなくてならない、という決まりができました。
俳句は、連歌から派生したものなので、この決まり事を継承しているのです。
松尾芭蕉が残した作品には、無季の句はほんのわずかしかありません。江戸時代初期には、有季定型(季語が入っている五七五の定型)という俳句の基本形が成立しているのです。
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
正岡子規
この句では、『柿』が季語となります。秋の夕暮れの空の下で、しんみりと柿を食べている情景が眼に浮かびます。
どこまでも鐘の音が響いていくような世界の広がりを感じさせる名句です。
五月雨や大河を前に家二軒
与謝蕪村
この句の季語は「五月雨」です。五月雨は、梅雨の時期、六月頃に降る雨です。川が増水して水流の勢いが増す様子が連想されます。
季語は以下の九項目に分類されます。
季題
例えば「扇風機という季語を使って、俳句を作って下さい」と、句会などで、お題として出される季語のことです。
季語・季題は、明治時代の後半頃に作られた言葉で、歴史は意外と浅いです。
無季
季語の入っていない俳句のことです。
季重なり
俳句の中に二つ以上の季語が入っていること。本来は、避けるべきこととされています。名句の中にも季重なりの句がありますが、二つの季語には軽重の差があります。
雪月花
春の花、秋の月、冬の雪という日本の自然美を代表する三つの季語のことです。
夏を代表する季語が抜け落ちているのは、古来の日本人にとって、夏は蒸し暑くて、暮らしにくい季節であったため、自然美を鑑賞するどころではなかったためだと考えられています。