俳句と川柳は同じ「俳諧の連歌」から生まれた兄弟のような物です。
俳諧の連歌とは、貴族の文化であった連歌を、庶民が自分たちでも遊べるようにバカバカしく滑稽なものに改造したものです。
連歌は、前の人が作った五七五の歌に別の人が七七の下の句を付け、さらに別の人がそれに五七五をの句を付けるといったことを繰り返し、36句、あるいは100句までで一作品とします。
俳句は、この俳諧の連歌の発句(最初の句)が単独で作られるようになったものです。
川柳は、付け句が独立したものです。
連歌は、参加者が交互に下の句を付けていくものですが、先に七七の下の句(前句)をお題として出して、それにベストマッチする五七五の句(付句)を考えだすのが、付け句という遊びです。
これを繰り替えしているうちに「お題として出される前句にはあまり意味なんか無いよな。付句だけで良いのじゃない?」ということになったわけです。
前句などなくても、十分におもしろさが伝わることに気づいたのですね。
このようにして生まれたのが川柳です。
発句(俳諧の最初の句)は、意味を通じやすくするために季語を入れることが重要とされ、切れ字によって、強く言い切ることを特徴としていました。
逆に付け句では、日常的なわかりやすい滑稽や、おもしろさが重視されました。
このような成立の経緯が、俳句と川柳の性格の違いとなっています。
俳句
古池や蛙飛びこむ水の音
川柳
芭蕉翁ぼちゃんといふと立ち留まり
どちらも松尾芭蕉がカエルが池に飛び込んだ音を聞いたことを伝えた句ですが、意味するところは大きく異なるのがおわかりかと思います。
上の俳句は、情緒や余韻を大事にしていますが、下の川柳は、芭蕉の真剣な様子を茶化して伝えています。
季語の有無
俳句では季語は、ほぼ必須とされていますが、川柳では無くても良いです。
切れ字の有無
俳句には句を切るための「や」「かな」「けり」といっ切れ字が重要とされていますが、川柳では切れ字は重要視されていません。
文語体と口語体
俳句は書き言葉の文語体が一般的ですが、川柳では話し言葉の口語体が一般的です。これは切れ字が文語体であるためです。
日常会話で「名月や」「広野かな」なんて言葉は使いませんからね。
自然と人事
俳句は自然や四季を詠むものですが、川柳は人間模様や社会風刺を題材にします。
サラリーマンの悲哀や苦労を描いたサラリーマン川柳などが人気です。
また、俳句のように余韻を残さず、自分の気持ちをストレートに表現するのも特徴です。
境界はあいまい
川柳は俳句と同様、俳諧の連歌を起源とします。
五・七・五の定型詩であることも共通しています。
このため、両者の違いはあいまいで、きっぱり線引きするのは難しいです。
自分では俳句のつもりで作ったのに他人から「いい川柳だね」と言われることもあります。
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八木 健 講師
NHK俳句王国司会を10年担当
現在 滑稽俳句協会会長