推敲とは俳句の質を高めるために、字句を吟味して練り直すことです。
閑さや岩にしみ入る蝉の声
これは『奥の細道』に収録されている松尾芭蕉の名句です。
芭蕉が元禄2年5月27日(1689年7月13日)に山形市立石寺を訪れ、岩に岩を重ねたような山姿を目の当たりにし、その静寂に心が澄み渡っていくような心境を句にしたものだとされています。
彼はこれを一発でひらめいて書き残した訳ではありません。
山寺や石にしみつく蝉の声
淋しさの岩にしみ込むせみの声
さびしさや岩にしみ込む蝉のこえ
といった、試行錯誤段階の句も残されています。
現存するだけでも4つの別バージョンの句が存在することから、芭蕉が山寺の麓の宿に逗留しながら、たくさんの失敗作を作って、これも違う、アレでもない、と悩み抜いたことがうかがえます。
名句という先入観があるにしても、「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の方が、下記の3つの句より、山寺の静寂に満ちた情景や物悲しさが伝わって来ると思います。
ちょっとした言葉の変更によって、句全体のイメージや質が大きく変るのです。
推敲という言葉の語源は、中国の唐詩紀事に収められた次のエピソードにあります。
唐の中頃の時代、賈島(かとう)という男がロバにゆられながら、詩の創作に夢中になっていました。
彼は「僧は推す月下門」という句を思いついたのですが、途中から「僧は敲く月下門」の方が良いのじゃないのかとも考え始めました。
どちらにしようか迷って、ロバの背で門を推したり敲いたりする仕草をしていたところ、前方不注意で、長安都知事、韓愈(かんゆ)の行列に突っ込んでしまいました。
賈島は役人に捕らえられて、韓愈の前に引き立てられ、非礼をわびて事情を説明しました。
韓愈は、詩人としても名高い人だったので、「それは君、『敲く』のほうが良いな。月下に音を響かせる風情があって良い」とアドバイスしました。
これをきっかけに二人は意気投合し、二人は詩について論じあったそうです。
この故事を元に、詩や文章を吟味して手直しをすることを『推敲』と呼ぶようになったのです。
俳句が出来上がったり、推敲で手直しした後、一日時間をおいて、再度、声に出して読んでみると良いです。
時間を経過させることで、より客観的に自分の作品を見直すことができ、欠点に気づきやすくなります。
この際、声に出してみることで、リズムの善し悪しも吟味できます。
俳句は音楽的要素も強いので、耳に心地よく響くかどうかも重要です。
松尾芭蕉は、次のように述べています。
句調はずんば舌頭に千転せよ。
「句の調子がうまく整わないときは、千回は口ずさんでみなさい」
という意味です。
句が耳にどのように聞こえるか、その音楽性を芭蕉は重視していたわけですね。
また、推敲段階で浮かんだ句は、芭蕉のように消さずに残しておき、後で見比べられるようにしておくことをオススメします。
もしかすると、最初に浮かんだ句や、手直しする前の句の方が、推敲した後の句より質が高いかも知れないからです。
小説などでも文章の推敲を行なうのですが、作家の中には後書きで、「たった一行の文章をこねくり回して、気がついたら一日が経っていました」と告白する人もいます。
文芸には、これで100点満点という線引きが無いので、より高い質の句を目指して、永延と推敲を続けることができます。
賈島が韓愈の助言を受けて「僧は敲く月下門」にしようと決めたのに、「いや『僧は蹴る月下門』の方が良いんじゃないか? いらだつ感じが出る」などと考えて、悩み続けるようなものです。
下手にこねくり回した結果、当初の良さが消えて、質が悪くなることもありえるのです。長く推敲を続ければ、質がドンドン向上するといった保証はありません。
時間も有限ですので、ある程度、推敲をしたら、切り上げる必要があります。