俳句と短歌は、どちらも日本文化を代表する定型詩です。
定型詩とは、文字数が厳密に決まっている詩のことです。
その目的も似通っており、どちらも、喜びや悲しみなど、自分が感じたことや、見た風景、自然などのありさまを言葉にして伝えます。
このため、混同しやすく、門外漢だと、まったく違いがよくわかりません。
大きな違いは、文字数の違いと季語の有無です。
俳句は五・七・五の十七文字です。
夏草や兵どもが夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
松尾芭蕉が平泉で詠んだ俳句です。
「夏草」が季語となります。
「このあたりは夏草がぼうぼうに生い茂っているけれど、昔は藤原氏が栄え、源義経が無念にも討たれた場所なんだよなぁ……時の流れとは、残酷で寂しいなぁ」
という感傷の句です。
季語の夏草があることによって、自然や時の移ろいとの繋がりが生まれ、実際に夏草の生い茂る地に立っているような、句の世界に引き込まれる感覚が生まれます。
一方、短歌は五・七・五・七・七の合計三十一文字です。
長いため、俳句よりやや作るのが大変だと言えます。
隣室に書よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり
(りんしつに ふみよむこらの こえきけば
こころにしみて いきたかりけり)
これは教師だった島木赤彦の歌です。
「病気で寝ていると、隣の部屋から勉強している子供の声が聞こえてくるじゃないか。心に染みて、もっと生きたいという気持ちが湧いてくるなぁ」
という生きる希望と、子供たちの愛情を表現したものです。
短歌には季語を入れるという約束事がありません。
また、このように自分の身の周りのこと、家族への愛情や恋などを歌ったものが多いです。俳句では恋の歌はあまり詠まれません。
ただ、俳句と同じように自然や四季を歌ったものも多くあり、この点が俳句との混同されがちな部分です。例えば、
東風吹かばにほひおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな
(こちふかば においおこせよ うめのはな
あるじなしとて はるをわすれるな)
これは学問の神様にもなっている平安時代の大貴族・菅原道真の残した歌です。彼が藤原氏との権力争いに負けて九州に左遷された時、家の梅の木を見て詠んだものです。
「春風が吹いたら、梅の花よ。その香りを風に乗せて、私がこれから行く地まで送っておくれ。私がいなくても、春を忘れず咲いておくれ」
という意味です。
「東風」「梅の花」と春に該当する言葉が入っていますが、この歌は春に詠まれたものではなく、これらは菅原道真の心象風景にあるものです。
久方のひかりのどけき春の日にじづ心なく花のちるらむ
(ひさかたの ひかりのどけき はるのひに
しずごころなく はなのちるらん)
こちらは三十六歌仙の一人、紀友則が平安時代に詠んだ歌です。
「日の光のどかな春の日に、どうして桜の花は落ち着きなく散ってゆくのだろう」
という意味です。
こちらは、完全に春の風景を歌にしており、五七五七七の型になっていること以外、俳句とまったく同じと言えるでしょう。
季語の有無
俳句では季語は、ほぼ必須とされていますが、短歌にはこのルールはありません。
文字数
俳句は五七五、短歌は五七五七七の定型詩です。
恋の歌
俳句には恋の歌はほとんどありませんが、短歌には多いです。
俳句で恋の歌といえば、新撰組副局長の土方歳三の作とされる
「志れば迷い志なければ迷わぬ恋の道」
という無季語があります。
俳句の字意は「可笑しな話」で、言い回しが変わっただけで基本は俳諧と同じです。
俳諧は歌道の基本である和歌の枝分かれです。
「和歌」とは、その字意のごとく、「和する歌」で意味解釈は「一歌に二つの意味が重なる」です。つまり、俳諧なら、表歌の景情の部分に滑稽なネタが重なっている事が歌道の原則なのです。気が付きませんか?
俳諧と呼ばれる歌の景情は皆、情緒あふれて滑稽な部分は微塵もありません。しかるに俳諧という。俳諧と呼ばれるゆえんはその歌の裏に重なっている事情が口にできないほど滑稽なネタだからです。だから、俳諧・俳句なのです。
歌道には字数・歌題・季語とかの制限がありこの制限下で滑稽なネタを重ね合わせるというワザは至難の業で誰もが簡単に詠む事はできません。
これは一例です。
これは夏目漱石が明治28年(1985)9月6日『海南新聞』掲載で“正岡子規に宛てた”俳諧です。
【金尽けば、義 扇動るなり、剣で打ち 泥め疎斥】
「扇動」は「アジ」と読み、「agitation」の略で明治時代の和製英語。
漱石さんは子規さんに対して、「モシ、生活資金が尽きるような事になったら、道義を持ち出すなり、剣で脅すなりしてしつこく軽蔑しなさい。」
その二ヶ月後の明治28年(1895)11月8日『海南新聞』への掲載で“返礼”として、正岡子規が夏目漱石に宛てた俳諧です。
【歌技 愚詠 禍ね 怒鳴るなり、放り 扶持 ば サボが仕義】
「サボ」は「sabotage」の略で和製フランス語。
子規さんは漱石さんに「歌技が愚詠で最悪なら、駄作だと怒鳴り散らすなりして、(愚詠に)援助を続けると怠けてしまい良い結果にはならない。」
要するに漱石さんは子規さんの生活費を全面的に援助する事を俳句で伝えた。これに対し、子規さんは自分の歌技が駄作なら何時でも“放り出し”てくれと漱石さんに返礼した。お互いが口に出して言わずとも“信頼関係”は繋がっているという事ですね。
これは歌道の極意を嗜む真の俳人だけが、理解する事のできる“歌の対話”であり、“俳句の醍醐味”なのです。しかも子規さんは“一枚上手”というか、もう一つ、“格言”が詠まれている。一歌三意という極めて難易度の高い歌を詠むという、歌道界最後の巨匠です。