突然、お便り致します。
幕末史を研究している者です。
江戸時代の俳諧の世界に詳しい会をインターネットで探していたら、こちらの日本俳句研究会を見つけました。
実は、調べている幕末史料の中に個人の発句集があって、一句だけ筆で丸く囲んでありました。
その「囲み」の意味がわからなくて、今、困っております。
普通、現在では、注意を呼び起したい部分を丸で囲みます。
ところが、江戸時代の句集では、丸く囲んだ句はそこから除去するという意思表示 になるらしいとの話を知人から聞きました。
丸で囲む行為の意味を取り違えると、句の解釈はまるっきり変わってしまいますので、ここは慎重を期し、専門家からのご意見を拝さなければいけないと思った次第です。
そこで、近世の俳諧を研究している日本俳句研究会の皆様へご質問なのですが、
Q1)知人の説は正しいのでしょうか?
Q2)また、そうした例は江戸期の句集では散見されるのでしょうか?
以上、2問ですが、日本俳句研究会の皆様のご好意で宜しくご指導賜りますよう、お願い申し上げます。
●答え
はじめまして。
ご質問の件は、私にもわからないので、サイト上にいただいたメールを転載して、他の方の意見も聞いてみたいと思うのですが、いかがでしょうか?
幕末、江戸後期は俳句の歴史的資料がほとんど残っておらず、専門家でも詳しいことがわからない領域です。
多くの人から意見を募ってみたいと思います。
早速のご返事ありがとうございます。
……そうなのですか。
なんか、難しいことをお尋ねしてしまったようで、恐縮です。
実は、調べていたのは幕末史では人気の高い新選組の土方歳三が作った発句集です。
その句集の中から、季語の無い一句を選び、その背景や土方本人の心境を考えた文章を自分が運営するブログで発信しました。
すると、それを読んだ友人から連絡があり、「句集で丸く囲んであるのはそこから消すという意味だと、○○氏から聞いたことがある。」と指摘されました。
○○氏というのは、新選組研究本を多数出版された方ですので、それならば、次回ブログの更新時に自分の不勉強と誤りを読者の方々に詫びようと思ったのですが、どうも腑に落ちません。
それと言うのも、これまで目を通した古文書では、現在と同じように、訂正箇所は棒線で消してあったからです。
文章訂正について、近世俳諧の世界だけ特殊な約束事があったのかどうかを専門家である日本俳句研究会の方々にお尋ねしてから、ブログでお詫びするべきであればそうしたいと、今は思っております。
勝手なお願いなのですが、日本俳句研究会の皆様のお知恵を拝借させて頂けたらと存じます。
先ずはご連絡方々、お礼まで。
土方さんの発句集でしたか。
私も土方歳三の作った俳句には興味があり、調べてみたことがあります。
鬼の副局長と言われた人なのに、意外と純情な恋の俳句などを作っていておもしろいですよね。
土方さんは、親兄弟が発句を作っているのを真似て、自己流で句を作っていたような人なので、厳密な当日のルールに則って、作っていたいたのかはわかりません。
それほど深い意味もなく、自分にだけわかる意味で句を丸で囲ったということも考えられます。