第二次世界大戦後、日本の文化である俳句は海外にも伝わりました。
2010年代になると、欧米、南米、中国、インド、ロシアなど、まったく文化や生活が異なる国々にも浸透し、人気を博しています。
欧米では、ローマ字で「HAIKU」、中国では「漢俳(かんばい)」という名前で呼ばれています。
俳句が海外に広まったのは、イギリス出身の文学者レジナルド・ブライスの功績が大きいです。
彼は日本文化が大好きだったようで、第二次大戦前に英語教師として日本にやってきました。戦争が始まると敵国の人間として強制収容所送りにされましたが、なんと日本を支持して、日本国籍を取得しようとしたというから驚きです。
その後、1949年にブライスは『俳句Haiku』第1巻を出版し、英語圏に俳句を紹介しました。
彼の残した俳句関連の著書には、『俳句Haiku』全4巻。
『俳句の歴史History of Haiku』(全2巻)があります。
最大の理由は「短くて誰にでも作れるから」です。
欧米では、詩や小説などの文学は、知的エリート層のものであり、学のない庶民がやるのは「詩の堕落だ」という偏見がありました。
19世紀に有名な童話作家アンデルセンが、デンマーク語の話し言葉で小説を発表した時なども、こんな物が小説と呼べるか! と文学界から大変なバッシングを浴びたそうです。それまでの小説は修飾句を多用した文語体で書かれているのが常識だったからです。
しかし、アンデルセンの登場と、その作品のヒットにより、この認識が徐々に崩れ始めていきました。
そこに俳句のような短くて簡単に作れる詩が登場し、詩の創作が誰でもできるようになったのです。
また、欧米では自然を軽視し、環境破壊などを推し進めていましたが、環境問題が地球規模で深刻化したことから、これではダメだということで、自然との調和を目指した教育が行なわれるようになっています。
俳句は季語を通して、自然と親しむことができる文化ですので、子供たちに自然の大切さを教えるのに適しています。
このような背景から、アメリカの多くの小学校で俳句が教えられるようになっているのです。
現在(2014/12/05 本稿執筆時点)では、「草枕」国際俳句大会という俳句を通して国際交流するためのイベントも日本国内で開かれるようになっています。
三行の短い詩であれば、英語俳句はOKです。
制約が少なく作りやすいという点では、本家の俳句の比ではありません。
日本語とは言語がまったく異なるので、まず五七五の定型がありません。
一応、季語(season word)は入れるのが通例となっていますが、厳密なルールではなく、無季語でも問題ありません。
これは外国は日本ほど四季がハッキリしておらず、自然条件も異なるため、共通語としての季語が使いづらいためです。例えば、砂漠で暮らしている人に、朝顔や蛍といった季語を入れた句を聞かせても、意味するところが通じないでしょう。
また、外国人の考え方として、自由を束縛するようなルールは嫌われており、あくまで自由な短い詩としての俳句が好まれているようです。
日本人的な感覚で言うと、五七五の定型も季語も無ければ、それは俳句とは言えないと感じてしまうでしょうが、文化や季節感がまったく異なる海外では、これは通用しないわけです。
Two light beams shining
where there were once Twin Towers-
my son, my daughter
(訳)
二本のビーム光線の輝き
ここはツイン・タワーのあった処―
わが息子よ、わが娘よ
著作:ジャック ガルミッツ(アメリカ)
第15回「草枕」国際俳句大会 草枕『大賞』作品
こちらは「草枕」国際俳句大会、外国語部門の優秀作品です。
2001年9月11日に起きた同時多発テロで崩壊した世界貿易センタービルの跡地で、犠牲者への哀悼を謳った句です。
ご覧の通り、五七五の定型になっておらず、季語も入っていませんが、哀愁漂う俳句的なしんみりした感じが伝わってきます。
松尾芭蕉も哀傷、述懐、別離、無常を詠んだ句には季語が無くても良いと考えていたようですから、(旅寝論・参照)この句は日本人的な感覚にもマッチすると言えます。
英語俳句は、簡潔さとか、想像させる部分など、ちょっと違うな・・・ってものをよく見ますが。
Twolightbeamsshining..
この俳句はすごく良いですね。
haikuも俳句なんだなと初めて感じた。
美とか感情を、その言葉を使わないで表現するのが俳句だなあと・・・