木遣り朗々冬空に舞ふ鯔背
(きやりろうろう ふゆぞらに まういなせ)
季語・冬
かぎろいさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
当地の今年の出初も良い天気に恵まれ、当市でただ一人残る、八十数歳の鳶の頭の木遣りの声が朗々と響いていました。
木遣りの後、冬日に光る青竹の大梯子の上で、鯔背な鳶の若い衆の梯子乗りが披露されました。
尤も裏話ですが、梯子乗りをしているのは、趣味で梯子乗りをしている、鳶職とは関係ない人。
木遣りを歌える鳶職の方も、この日歌った頭ただ一人。趣味で木遣りを歌う方はいるのですが・・・・・。
一抹の寂しさを禁じ得なかった、出初式でした。
安眠父さん、こんにちは。
これは江戸っ子な句ですね。
大勢の大工や鳶職人が、大声を出しながら、木材を運んでいる様子が目に浮かびました。粋でいなせな感じがします。
ただ、「木遣り」「鯔背」という言葉は、現代では死語になっているので、若い人には意味が伝わりにくいと思います。鳶の頭が80歳と高齢になっている、梯子乗りは鳶職とは無関係な人、ということからも、この句を味わうにはいずれ時代考証が必要になってくるでしょう。
そういった背景があるためか、句にしんみりとした哀愁を感じます。
かぎろいさん、こんにちは。
ありがとうございました。
そうですか。「木遣り」「鯔背」は死語になりましたか!
確かに棟上げ式、建前など見なくなりましたね。昔は職人さん達が木遣りを歌いながら帰って来ましたが。
私の町内会にはこの木遣り同好会があり、若い方々なども参加して練習しています。
また、浅草の鬼灯市では、今でも鯔背な格好をした、可愛いお嬢さんたちが、鉢植えの鬼灯を売り声高く売っていますね。
なので、私の周りでは若い方々の間にも、木遣り、鯔背は普通にありましたので、こんな言葉も何の抵抗もなく使ってしまいました。
それと、字面だけでは具体的に物が見えてこない俳句に気がつきました。
私は写真に俳句を貼り付けて、写真俳句のブログも書いていますので、その弊害が出ていますね。
この俳句は、ブログでは梯子乗りの写真にこの句が貼り付けてあるのです。
そういう、写真の説明がないと、一般の方にはわかりにくい俳句かもしれませんね。
ありがとうございました。