悲しみは潔く散る桜かな
季語・春
最近失恋しました。その悲しみを桜に託した句です。
阿修羅さん、こんにちは。
この句は、桜を描写したものではなく、作者の悲しみを桜に例えたものです。
俳句は、四季折々の自然を描写するのが基本です。
その中から、作者の心情が滲み出てくるのが良いのであって、最初から作者の心情が全面に出ているのは、良くありません。
例えば、「赤い椿白い椿と落ちにけり」という河東碧梧桐の名句は、椿の様子を描写することで、「無常観」を表現しています。
無常観とは言葉に出してしまうと、浅薄な感じがしますが、無常観を感じる具体的な自然の描写を通してだと、より深いレベルで無常観を味わうことができる訳です。
また、悲しみを表現するにも、悲しいという言葉をストレートに使ってしまうのは文芸では稚拙とされています。悲しいと言わずに悲しみを表現することで、悲しみがより深く読者に伝わるのです。