カエル鳴く生け簀のそばは夏の暮
季語・夏
駄作ですみません。大学時代に授業で俳句に触れたことがありましたが、そのとき、たまにしか作ったことがありません。最近『奥の細道』を読んで、もっと勉強したいという気持ちがわいてきました。まだまだですが、コメントをいただけると、ありがたいと思います。
今日の一句は毎日大学を散歩するとき通った道で思いついたもので、いつの間にか聞こえたカエルのことで、夏だなと実感しました。ところで、ここは亜熱帯で、夏がとても長いところで、5月に入ると、だいたい夏が来たという感じですね。
心が落ち着いていれば、ふだん聞こうともしないのに聞こえてくるような声もありますね。このカエルの声が実にきれいに聞こえました。それでは、よろしくお願いします。
馬蓉さん、こんにちは。
これは大変わかりやすい素直な句ですね。
「夕暮れ時、生け簀のそばを通りががったらカエルの声が聞こててきて夏を感じた」ということが、情緒感を伴って伝わってきます。
ただ、カエルは春の季語、夏の暮れは、そのまま夏の季語です。
2つ季語が入っている「季重なり」は、俳句では行ってはいけないタブーとされているので、気をつけましょう。
カエルのうちでも、アオガエルとカジカガエルは夏の季語とされています。おそらくは、このどちらかを謳ったものなのだと推測されますが、同じ季節の季語でも、季語を2つ入れるのは好ましくありません。
余談ですが、有名な松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の季語は、「蛙」で、夏ではなく晩春を謳ったものだとされています。