日が暮れて雲に覆われ月朧
朧月ひとり寂しく仰ぎ見る
季語・春
最近、俳句に興味を持ち始めました。
初めて投句します。
先日、このまま年をとっていくのが不安だ、ともの悲しい気分になったときに、月に薄い雲がかかっていたのを見て、作ってみることにしました。
朧月で始まっているものが最初の句。
説明文になっていると思い、推敲しました。
人生の坂を下る先は、雲がかかったようによく見えなくて不安を感じた、という思いを込めました。
次は、楽しい気持ちを込めた句ができたらよいと思っています。
三登子さん、こんにちは。
最初の作られたという「朧月ひとり寂しく仰ぎ見る」の句は、表現が直接的すぎて良くなかったですね。詩や俳句においては、寂しい感情をそのまま寂しいと表現してしまうのは稚拙になります。
寂しいと書いてしまうと、どのように寂しかったのか、想像の余地や機微が伝わらなくなり、薄っぺらな作品になってしまうのです。
「いくたびも雪の深さを尋ねけり」というのは、正岡子規の名句です。病魔に冒されて動けなくなった無念さと、それを受け入れつつある静かな心境を、見事に表現しています。
「日が暮れて雲に覆われ月朧」は、この点が改良されて、人生が斜陽の時期にさしかかり、先が見えなくて不安な心境を間接的に表現できていると思います。
ただ、月朧という言葉から現在が夜であるのがわかるので、「日が暮れて」は二重表現になってしまっています。する必要のない説明です。
「日が暮れて」が年をとることの隠喩であることはわかるのですが、どうもシックリこない感じになってしまっていると思います。