托鉢にふはり喜捨する桜かな
季語・春
かぎろひ様。よろしくお願いいたします。拙宅近くの鎌倉円覚寺から墨染め衣の托鉢修行僧の一団。ハラハラ舞う桜が一幅の絵模様でした。
並木さん、こんにちは。
お坊さんに桜の下で喜捨する様子が目に浮かぶ句ですね。托鉢とは、聞きなれない言葉ですが、僧が修行のために経を唱えながら各家庭を回って、食物やお金をもらうことだそうですね。
映像的には美しいのですが、最後の「桜かな」が、取ってつけたような感じになってしまっているのが残念です。
例えば、この「桜かな」を「冬木立」にしても、冬の俳句として意味が通ってしまいます。このような句は、季語を効果的に使えていないとされて、減点の対象になります。
お坊さんの様子を伝えたいのはわかるのですが、季語がないがしろにされていると、あまり良い感じがしないです。
季語に関してかぎろいさんとはまったく逆の感想を持ちました、「ふはり」「喜捨」と柔らかな暖かさを感じる言葉の後には春の季語が合っているように思いました。
冬や夏の厳しい修行としての托鉢ではなく、皆が優しくなれる季節の托鉢の様子が気持ちを明るくします。
初心者の戯言です、ご勘弁を!
かぎろひ様 感想コメントありがとうございます。
ただこの句は、「さくらの下で喜捨」ではなく差托鉢僧が一列で門から出てくるその時、落花が舞い舞い・・の「桜がふわりと托鉢に喜捨してる・・ようだ」と詠んでいます。
冬木立では「ふわり喜捨」することは叶いません。春、桜で季語確定していると思うのですが。「雪が喜捨してるようだ」と季移りするとすれば雪は「ふわり降る」とは表現されない(無理がある)はずですが如何なものでしょうか?
「桜がふわりと托鉢に喜捨してる・・ようだ」
なるほど、確かにそのように読めますね。
僧が喜捨しているのではく、桜が花びらを喜捨している様子を詠んだものだったのですね。これはすみません。それでしたら、季語は桜以外に考えられません。
『托鉢』という言葉は、あまり聞き慣れないもので、辞書で調べて感想を書きました。そういったこともあって、僧がすることを桜がする、という擬人化の発想には至りませんでした。やや読解が難しいかなと、思います。
寿猫さん。拙句「托鉢喜捨」の句にコメントをありがとうございました。かぎろひさんご指摘も「そのようにもよめる」ということでやはり、句の未熟さも反省です。
さて、猫フアン(自分は事情で飼えてませんが・・)「夏座敷猫が伸びして夜叉の顔」の一句をモノにしました。ただ、これはかぎろひさんに「春座敷でも冬座敷でも、炬燵で・・でも」と典型的な季移りを指摘される句で没にしましたが、寿猫さんでしたら、どのように詠まれますか?
並木研二さんこんばんは。
僧が一列で門を出て行く所までは読めませんでしたけど、私のイメージでは僧が一人で托鉢に出かけ歩いてる時か角付(でいいのかな?)してる時に花びらが鉢に入ってきた。そうゆう風に思えました先のコメントで言いましたように春でいいと思います。この句好きです。
さて猫の句ですけど「伸びして」は長く「伸びて寝ている」のか「起きて背伸びしてるのか」によって違ってくると思います。
伸びて寝ているのなら春か夏、伸び方の表現で春、夏を書き分けらるように思います。背伸びなら四季問わずですね。
猫の表情ですが寝てるのなら夜叉は可哀相です、仏顔くらいにお願いします。あくびでももっと優しい顔しています。(笑)
まだ猫の夏の句は詠んでませんが顔の表情ではないのですが・・・・
「春の日や猫の背の縞伸びにけり」
「子猫らは音を見るよに顔揃え」
などと詠んでいます。まるっきりの初心者の句です。
ご容赦の程をm(_ _)m