矢道しづか花散らすか弦のおと
季語・春
弓道人
おこおのこさん、こんにちは。
これは風流な上にカッコイイ句ですね。
しんと静まり返った弓道場に弦の音が響いて、桜の花が散った、という意味に解釈しました。
気になった点を言えば、「矢道」とは弓道の専門用語で、射場と的場までの矢が通る広間のことです。一般人には馴染みがない言葉なので、意味がわからずに困惑する人もいるでしょう。
また、弦の音が、花を散らしたように読めますが、実際にはそういった現象は起こるほど弦の音は大きくないので、これは観念的な表現だと思います。
高浜虚子が昭和2年(1927年)に提唱して以来ホトトギス派の指導理念となった「花鳥諷詠」は、四季の自然現象とそれに伴う人事とを、先入観念を排して純粋に叙景的に詠むのを理想としています。
これに照らし合わせると、風景をそのまま描写していない 観念的な表現は、NGということになります。
子の句の全体は弓道場の染んと静まり返った場景を描写して秀句だと思います。
「花散らす」でなくて「散らすか」と比喩表現ですから「弦音が花を散らしている、散らす」でなくそのような感じがするほど「弦の音」が鋭敏に聞こえる静けさ描写と解釈すると私は秀句と思えますが・・如何でしょうか?