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俳句の作り方、歴史、俳人を探求。日本俳句研究会

投句の批評

鈴木清さん作2014年04月01日

春の塵行きずりの街の根無し草

季語・春

 春風が吹き、うららかな季節を迎える中で、私の心は春の塵のように虚しく、自分の居場所の決まらない根無し草のように土煙が舞う街をさすらっています。

●かぎろいのコメント2014/04/01

 鈴木さん、こんにちは。
 この句は、春を謳ったものではなく、作者の心情を謳ったものですね。
 『春の塵』は、『行きずりの街の根無し草』である作者の孤独感を強調するために使われています。『春の塵』ではなく、例えば季語を『淡雪や』に変えてもOKで意味が通じてしまうのが残念なところです。
 つまり、季節はオマケで、どうでも良い存在になってしまっています。

 俳句は詩の一種なのですが、季語を入れるというお約束からもわかるように、主に自然や四季を詠むものです。人の心を謳うこともできるのですが、それは自然を謳った上で行うのが良いです。
 例えば、『夏草や兵どもが夢の跡』といった句は、作者の感じる寂寥感を歌っていまますが、それな夏草を通して感じるイメージとなります。

 『春の塵行きずりの街の根無し草』は、春の塵のイメージより、作者である根無し草のイメージが先に来てしまうので、俳句っぽくない作品になってしまっています。
 また、『行きずりの街の根無し草』は陳腐なのも残念です。別の言葉、作者独自の言葉で表現していたら、もっと良い作品になったと思います。