生天へ仲夏読経の別離せし
季語・夏
先日、友の訃報が届きました。
通夜では信じられずに告別式にも参列し合掌をしていました。
いつしか涙が溢れ止まらなくなりました。我に返ると木魚は力強くリズムを刻み、住職の読経は一心に死者を弔ってあの世へ導いているのだと確信しました。
このとき、涙していたのは私だけではありませんでした。
お経の力に改めて感動し、体感したことで友とお別れができました。この場の臨場感、自身の心を読み置きたいのですが、季語なかなか手ごわいです。
生天へ仲夏読経の別れせん
ごめんなさい。こちらの方が素直かと思いました。
いろいろな言葉を考えますが、決めきれなくて、決定することも大事でしょうね。よろしくお願いします。
森 さと子さん、こんにちは。
私にとっては、『別離せし』の方が『別れせん』より、リズムが良くて優れていると思います。『別離せし』の方が、つっかえることなく読めます。。
両者とも、平易な言葉を使いながらも別離の悲しみや余韻が伝わってきます。この点では非常にうまいと思いました。
ただ、『生天』という言葉が調べてもわかりませんでした。
仏教用語であることはわかったのですが、馴染みがない言葉ですので、ここだけは意味が通じにくいかと思います。
おっしゃるとおり、季語に苦心されたのがわかります。
『仲夏』は直接的な言葉すぎると思うのですが、告別式では、季語になるような物はほとんどないでしょうから、難しいところですね。
こんにちは、この句について時折考えています。
「百合香る読経沁みいり別離せし」
芭蕉のしずかさや・・・(漢字変換できずひらがなで)ですが、思い出し拝借してみました。
が、これで自身が読経に感動し涙した心が言えているのか、一方で直接な表現は避けた方がいいと、皆様へも話していらっしゃるかぎろい様のコメントも参考にすると、やっぱり大変です。
こんなとき言葉をたくさん知っていると違うだろうな、と切なさ、悔しさ・・・でも句の楽しさを味わいたいです。
どうぞよろしくお願いします。
こんにちは。
改稿された句は、以前の物よりグッと良くなっていると思います。別離の悲しみの情緒が良く現れていて、もはや目につく欠点はありません。
ご自分の心と句が乖離してしまっていると感じるのでしたら、うまく作句できても、心残りかと思います。
ただ、もはやこれ以上、ピッタリと来る言葉が見つけられないのであれば、次の句を作るのに移った方がよろしいかと思います。一つの句にこだわるより、たくさんの句を作った方が、上達しますし、新しい発見があって、楽しいかと思います。
上達した後に推敲すれば、もっと良い言葉が見つかるかも知れません。
ありがとうございました。
迷いは、香るか、匂うでした。