鬼胡桃 転げ落ちるを ひとたたき
ビードロや 瞳透かして 秋澄む日
季語・秋
鬼胡桃・・・うまく事が運ばずイラついたとき、気持ちを一新しました。
ビードロ・・秋の良日の 穏やかでさわやかな心持ちを詠みました。
秋の今日が、すがすがしい日であることと、ビードロを覗く瞳が、さらに透明感をもってきれいであったことを伝えたいと思いました。
こんにちは。
鬼胡桃の句は、ころころクルミが転がっていく、コミカルな印象を受けました。「ひとたたき」という下五は、転がって逃げるクルミを拾って、割って食べたような感じがするので、子供を詠んだ句のようにも思えました。
秋の山の風景を想わせるとても良い句だと想います。
ビードロの句は、残念ながら、ちょっとわかりにくかったです。
ビードロを通して見た秋の空が澄んでいるというのはわかるのですが、色つきのビードロを通して見た風景が澄んでいるようには、ちょっと思えませんでした。
ビードロを題材にしたのは、古式ゆかしい日本家屋的な情景を連想してとても良いと思うのですが、「秋澄む日」との相性が悪かったように思います。
ありがとうございます。
鬼胡桃はコミカルさユーモラス感を含んでいます。モグラたたきや海賊ゲームのたたく感じも合わせていました。
胡桃おいしいですよね。
ビードロは、ビードロを空に向けて覗く 鳶色の瞳そのものが、秋の光に透けた透明感が秋ゾラのさわやかさと繋がってた気がしました。
しかしながら、そういったことが伝わらないので、イメージから作品になるとダメかな・・です。
母が通信でNHKの俳句に投稿添削を受けています。
それを見たりすると、自分の稚拙さに愕然とします。
1.ボキャブラリを増やす
2.自然を感じたときの表現方法は、直接的・間接的とどうすべきか・・とか
3、季語はストレートが良いのか、思い描いたときにああそれ!と分るのも良いか・・とか
いずれもありとか。
解釈は人それぞれとはいえ、思いが伝わるとして、どのくらいの思い違い?!はありかとか。
疑問ばかりです。
負けじと思いを 5.7.5 にしますが。
お考えをお教えくださいね。
かぎろい様の作品楽しみにしております♪
イメージを伝えるのは確かに難しいですね。
こちらの意図したことがうまく伝わらないのが俳句に限らずコミュニケーションの難しさだと思います。
なるべくわかりやすい句が良いと、いろんな俳句の本に書かれていますが、これは意図が誤解無く伝わないと意味がないからです。
ただ、誤った意図が伝わってしまったとしても、怪我の功名というか、それで句の違った味わいが生まれることもあると思うので、あまり深く考えすぎてもいけないのかなと思います。
松尾芭蕉は生涯で1066句を作ったそうですが、そのすべてが名句とされている訳ではありません。正岡子規から、月並みと批判されている句もあります。
天才だから、作った句がすべて名句になるのではなく、たくさん句を作った中から、名句がわずかに生まれるというのが真実です。
このため、あまりアレコレ悩みすぎて俳句が作れなくなってしまうのが、一番いけないと考えています。取りあえず楽しんでみる、くらいの気持ちで句を作るのが良いのではないでしょうか?