雪こぼれ くぐもりガラス 覗き君
季語・冬
雪がはらはら落ちてきます。空の色が師走感いっぱいです。
物悲しくもあり……静かです。
{くぐもりガラス}は実際のガラスと、そして心の内です。
こんにちは。
「くぐもりガラス」に二重の意味を持たせているところが良いですね。
外が雪でいっぱいで、やや不安に感じている様子が伝わってきます。
ただ、主人公がどういった状況に置かれていて、なぜ不安に思っているのか? 句から読み取るのが難しくて、心の内まで曇っているというのは、説明されないと気づかなかったと思います。
正岡子規の俳句に、「いくたびも雪の深さを尋ねけり」というのがあります。これは子規が病床にあったということを知らないと意味がわかりづらいですが、雪の深さを何度も尋ねているところから、身体が不自由なのだということを推測することができます。
長田さんの句は、子規の句のように主人公の状況、心境を推測するヒントに乏しいのが欠点かと思いました。
どちからというと、憂い顔の恋人を見つめている恋の句のようなニュアンスを感じました。「曇りガラスを覗いている君の顔まで曇っているのは、どうしてなんだい?」という問いかけの句として読むと、また違った味わいになります。
長田亜子です。師走ですね。雪も降って……早いです。秋が短かったような気がしてなりません。俳句の御批評ありがとうございます。
『雪こぼれくぐもりガラス覗き君』かぎろいさんの見て下さり方も、ありですよね。男性視点ですね。そういう風に慮って頂ける君は幸せです。
雪は静かに落ちてきて室内と外の温度差を、ガラスの曇り具合から感じました。まるで、心の中の葛藤のようで、本当はその曇りを全部すっきりぬぐいたいところでしたが、ほんの少しこわごわ手で拭いてそこから覗くと、やっぱりそこには想う人が清々といるんです!そんな気持ち・イメージを、実際の様子をリンクしています。
句にくるんで現わしたい。こういうのは、自然を詠む句の本来の姿とは違うのでしょう。どう思われますか。
前作のからめとられたのは、冬桜だし、自分も投影しています。情ありき(恋心以外も)で生きてるかなあ……生活の随所に出てしまいます。
こんにちは。
なんとなく恋を詠んだ句のように感じましたが、やはりそうでしたか。
恋の俳句というのありだと思います。
自然を詠むのが俳句の王道なのでしょうが、土方歳三が残した恋の句というのも残っていますしね。