緑濃き あの葉此処の葉 初夏歌い
季語・初夏
朝、外に出ましたら、特に緑の濃い葉っぱが、陽に照らされて光っていました。それは椿の葉なのですが、形状も丸みがあってリズミカルに見えました♪
こんにちは。
一読した際、なんとなく童話っぽい感じがしました。
おそらく、「緑濃き葉が歌っている」と、擬人法を使っているためですね。
私が読んだNHK俳句の雑誌によると、擬人法は下手に使うと、月並みな句になってしまうので、初心者は使用するべきではないとありました。
この句も、月並みな感じがしてしまっていますが、「あの葉此処の葉」という言葉のテンポが良く、童話っぽい感じ、子供が詠っているような様子を醸し出していて良いと思いました。
できれば、下五の『初夏歌い』を別の表現に変えられると、月並みな感じがしなくなって、もっと良い句になると思います。
御批評有りがとうございます。
緑濃き あの葉此処の葉 初夏歌い
月並み・・本当にその通りなんです。ラスト部分迷って決めました。
緑が生き生きしている、{あの葉此処の葉} が使いたくて。
かぎろいさまは鋭い!鮮度なしでしょう。構成しているから。
この俳句を作りたかった場面は、朝のきらめきの中で、その通りなんですが、言葉が浮かばず・・
自然からだけではインスピレーションが働かない。
何かしら感情があって、そこと自然がリンクしないとダメなんです。
母などは、せっせと自然や風景だけを詠んでいます。
今は、でんで虫 カタツムリ の いるおもしろさみたいなことを。
緑濃き あの葉此処の葉 夏衣
これはどうでしょう。これもま、普通ですよね。なしではないけど?!
私が作らなくても、だれか作っていそうなんです。そう思われませんか?
その様子に新しさを感じたのに、見たものありきで、自然や風景だけを拾うとこうなるんですよね。
それをを詠めないなんて、俳句してますって言えないですが、何かしら感情が動いていて、風景や自然に自動的に投影されると、自分のピタッ!にはまります。
幸い自分でこの句はイイナと思うものを、かぎろいさまにも、よく思っていただいてる気がします。
ありがとうございます。
またひらめいたら投稿しますね。
こんにちは。
下五を「夏衣」にされたら、さらに良くなったと思います。
言葉を換えるのって、ピッタリのがなかなか無くて難しいですね。
誰かが同じような句をすでに作っているのじゃないかと思うと、何も作れなくなるので、思い付くままに俳句を作ってみるのが一番ではないかな、と思います。
松尾芭蕉もあまり有名ではない駄句を結構作っていたという話ですし、練習のためにも何か思い付いたら、それをすぐに俳句にしてみるというのは、良いことだ思いますよ。
横レス失礼します。
「緑濃きあの葉此処の葉初夏歌い」
とても素敵な句ですね。かぎいろ様のおっしゃるように「あの葉此処の葉」がここちいいです。
でも緑も夏の季語かと思います。
そこでかぎいろ様のコメントの中の童話のようをヒントにこうよんでみました。
「緑濃きあの葉此処の葉わらべ歌」
まったくの初心者の戯言「あの葉此処の葉」ニ惹かれての無礼とお許しください。