本文へスキップ

俳句の作り方、歴史、俳人を探求。日本俳句研究会

俳人列伝

異説・松尾芭蕉は幕府の調査官だった!2014/12/15

●大林賢栄さんの意見

 芭蕉さんは数々の傑作を世に残された俳句の巨匠として知られていますが、それだけでなく、

 ズバリ!言いますが、芭蕉さんは徳川幕府の調査官でした。

 まず、江戸時代という時代は例え、富豪な商人であっても優雅に旅行ができる時世では無かったのです。旅をスルには御上に許可を得て、交通手形をもらい、申請した目的地以外を往来する事は御法度だったのです。江戸時代に全国を自由に往来できたのは幕府の公務(隠密工作員)ダケでした。

 芭蕉さんの旅は目的地が一過所では無く、藩をいくつもまたぎ、周回的な旅路だったので芭蕉さんの旅が幕府の調査であった事は諸藩の知るトコロであり、芭蕉さんのスパイ行動は“見え見え”だったワケですが、これが幕府側としては効果テキ面だったのです。
 何故なら、隠密なら、調査されては都合の悪い諸藩側からすれば、隠密を隠密に殺害するという対処ができますが、公にオオッピラにされると諸藩は対策ができないという事です。

 当時、芭蕉さんが名俳人でアッタ事は武家・商人を問わず、誰もが認めるトコロであり、その彼が全国を旅して、「句集を作る」という名目であれば、芭蕉さんの申請を却下する理由もナク、幕府は許可しても不思議ではない。これは幕府が直轄圏外を調査する目的を果たす為のいわゆる、幕府側の「建前」であり、旅をして句集を作成するというのは芭蕉さんの個人的動機では無かったという事です。
 言い変えれば、直轄圏外を調査する為に幕府は隠密を送り込んでイタが諸藩に隠密を暗殺され、調査の成果が無かった事を意味します。芭蕉さんの旅(調査)は幕府が画策した意図的なモノだったのです。「建前が有効に使われた」典型です。

 ここに紹介する裏歌は芭蕉さんが三度目に旅をした時に詠んだ歌の中に認められていた調査報告の一部です。

★原文【為ず 義でも 偽 適ば 為ふ】

★意味解釈・・・「人のふみ行うべき、正しい筋道は時として、“偽る”事で“義”が適うので有れば、其れをスル。」

 分かり易く言えば、「嘘も方便」という事です。この歌は、彼が幕府の命を受けて、尾張・伊賀・伊勢・大和・紀伊・須磨・明石を“監視”した旅中で詠まれた歌の中の一首ですが興味深いので提示しました。

 この「為ず義」とは、幕府が定めた納税制度を順守すれば、農民たちが“生きて行けず、餓死する”地域があったということ。納税基準を達成する事ができない地域がアッタと言う事、そして、この地域の大官は、「民を助ける」為に生産高をチョロまかしました。それは大官が私腹を肥やす為では無く、農民たちを“救う”為に行った“偽り”である事を芭蕉さんは調査で知り、「義は時として、偽りが適えば、其れを為す」と“記録”したのです。

 この三度目の旅も地方官の「違法行為を監視」する事が目的でした。いわゆる、法を順守すべき官が私利私欲の為にスル違法行為の有無を調査し、報告する任務でしだが、全ての官が悪代官では無く、官の中には農民の立場になり、彼らを“ギリギリの線で”助ける官もいたということです。
 御法度とは言え、この手の官は“罰する事はできない”と、芭蕉さんは記録し、報告したという事。当然、幕府が承知し、見逃した事は言うまでも有りません。この官が何処の藩の系列だったのかは歌が詠まれた場所が表歌や旅日記に記されていますが、ここではあえて、触れませんのでご了承ください。

 芭蕉さんの“隠密剣士”の旅では悪代官の違法性を俳諧で滑稽に表現していますがこういう“人情”場面を詠んだ歌もあります。

 芭蕉さんは超賢人的な歌人なのは藩を調査し、報告書を作成した事を上手くまとめて、全て、俳句に認めた事です。しかもその土地々の景情を詠む中に記録した事。これは「凄い!」の一言に尽きます。

奥の細道は東北調査記録

 芭蕉さんが幕府の調査官であった事は彼が編集した歌集の歌題でも確認する事ができます。
 総題は全体をまとめた趣旨が述べられています。芭蕉さんが東北を旅して、作成した歌集の歌題は周知の『奥の細道』です。この歌題の裏には芭蕉さんが幕府の調査官であった事を裏付ける内容が認められています。

 解読は以下の通りです。

「奥の細道」⇒「おくのほそみち」

「おくのほそみち」の最初の「お」は「ほ」に変換します。
「ほくのほそみち」の四文字目の「ほ」は「お」に変換します。
「ほくのおそみち」の五番目の「そ」に濁点を付加します。
「ほくのおぞみち」に適切な文字を当てると下記の通りです。

★原文「北 の 悍 満ち」

★「北」とは、「東北地方」の事で「幕府の直轄圏外の諸藩」を意味します。
★「悍」の意味解釈は「違法行為」。
★「満ち」とは「蔓延」。

 また、表の部分の「奥の細道」にも「見えない場所」という意味があります。

 歌題は「東北に違法行為が蔓延している」と言う意味を認めていますから、彼が幕府の隠密として、幕府の「目が届かない東北を調査」した事は明白です。

 この歌集には芭蕉さんが調査した順路で調査した場所を表歌に詠み、裏の部分にその土地での調査内容が認められています。これこそが賢才俳人である松尾芭蕉さんの凄さ!なんです。

 これは現代俳句界に対するグチになりますが、松尾芭蕉さんを愛する素人は元より、現代俳文学は松尾芭蕉さんの巨匠たるゆえんを知りません。それどころか、景情評論は曖昧に空想妄想論化し、暴走し続けています。何よりも腹立たしいのは歌道の極意を心得ている俳人たちが自分たちの地位や名誉や富を失う事を恐れて、見て見ぬフリをしている事です。

河合曾良の俳号に込められた意味

 芭蕉さんの弟子の中で特に優れた十人の弟子を蕉門十哲と言いますが、河合曾良さんはその中の一人で、芭蕉さんが幕府の命を受けて、奥州・北陸の諸藩調査の旅、所謂、『奥の細道』に同行した御弟子さんです。

 幼児期の名前は高野与左衛門、その後、養子になって岩波庄右衛門、長島藩主松平康尚に仕えた時は河合惣五郎を名乗り、彼が芭蕉さんに同行する時の名前は河合曾良でした。「曾良」という名は俳人の号名ですが、俳句では号名も裏歌を作成する際に裏歌の一部として、使用される必要なアイテムになっています。恐らく、師匠の芭蕉さんが考案し、与えた号名だと思います。この「曾良」という号名が凄いのは俳句以外でも裏記として、使用されている事です。俳句以外とは姓名で裏記する事です。何故凄いのか?を解説します。

 先ずは 「河合曾良」「松尾芭蕉」を繋ぎ合わせて、平仮名に戻します。
 「かわいそら まつおばせふ」

★「わ」は「う」と「は」の合音なので分離します。

 「かうはいそら まつおばせふ」

★三番目の「は」に濁点を付加します。

「かうばいそら まつおばせふ」

★七番目の「ま」に濁点を付加し、「ば」に変換します。

「かうばいそら ばつおばせふ」

 是で変換は終了です。次に適切な文字を当てると解析は終了です。

「か うばい そらば つお ばせふ」
「貨 奪 い 反 ば 強  罰せふ」

★「貨」とは、「幕府に納税すべき公金」
★「奪い」とは、「横領」
★「反」とは、「謀反」

★解説・・・「公金を横領し、軍資金として蓄え 徳川幕府に背く者は重い罰を与える」

 これは幕府の監視の目が行き届かない地方の諸藩が公金を横領し、それを軍資金として蓄え、徳川幕府に対して、軍事的な謀反を企む者は徹底的に重い罰を与えるという内容です。これはいわゆる、幕府の「藩狩り」です。幕府は諸藩に対し、必要以上に警戒していたという事がうかがえます。

 私が松尾芭蕉の俳句解析で難儀だったのは芭蕉さんの号名が余りにも多い事です。だから、芭蕉さんの原筆を探すのに苦労しました。俳句には必ず、最後に号名が記されます。先に述べた通り、号名は俳句の裏歌の部分の一部ですから、歌に付記されている号名の署名は裏記の解析に絶対、不可欠なのです。
 『記・紀』にしろ、『万葉集』にしろ、『源氏物語』など諸々の古文献の解析は常に原文でなければ、いけません。漢籍に至っても然りで、「読み下し」や「現代語訳」は編纂者の意図を破壊する危険性がありますから、古今を問わず、文献を研究される場合は常に原文をオススメします。