爪ほどな蝶であるこそ蜆蝶
[ 作者名 ] しょうご[ メッセージ ] 葉の上にとまっている蜆蝶をみました。蝶というと華麗な羽根を想像しますが、日本の蜆蝶はどちらかというと地味で可憐です。
2014-10-05に投句
夏逝きて母の瞼に彼岸花
[ 作者名 ] 阿乱怒論[ メッセージ ] 忌花である彼岸花は庭には植えなかったものですが、友人の母上の晩年にはなぜか庭にたくさんの彼岸花が咲いていたそうです。
臥せっていたいた母上の眼にも彼岸花が映っていたことでしょう。
今は亡き母上を「夏逝きて」に込めてみました。
2014-09-26 22:50:14に投句
芋虫や艶やかすぎる厚化粧
[ 作者名 ] 唐辛子[ メッセージ ] あまり好きにはなれない芋虫。黒字に鮮やかな緑・黄色の模様が幾何学模様にとてもあでやかにならんでいるもののいかにも下手な厚化粧とイメージ。
2014-09-07 14:04:08に投句
かぎろいのコメント
この中では、唐辛子さんの『芋虫や艶やかすぎる厚化粧』が一番良いと思いました!
芋虫は、蝶になればキレイですが、できれば目を逸らしたくなる気持ち悪い虫です。そこをあえて観察して、俳句にした着眼点が良いと思いました。
芋虫の身体は、毒々しさを感じさせるほどあでやかで、厚化粧という表現がピッタリ来る気がします。
しょうごさんの「爪ほどな蝶であるこそ蜆蝶」は、蝶という言葉が2つ入っています。同じ言葉を繰り返すのは、短い文芸である俳句では避けるべきとされています。ちなみに、蜆蝶は「シジミチョウ」と読み、初秋の季語です。
阿乱怒論さんの「夏逝きて母の瞼に彼岸花」は、とても気持ちのこもった良い句だと思うのですが、夏、彼岸花(秋の季語)と季語が2つ入っていて、季重なりになっています。
もちろん、彼岸花の方が主役であるのはわかるのですが、「夏逝きて」と、上五の一番最初に「夏」が入っているので、印象として、夏のイメージが強くなっています。俳句から受ける印象は、秋というより、晩夏という感じです。季節感の混乱が生じてしまっています。
また、「母の瞼に彼岸花」という言葉から、実際に彼岸花が目の前にあるのではなく、母の記憶や想像の中にあるという印象を受けます。こういったことからも、現在の季節は彼岸花が咲いている秋ではなく、晩夏であるように感じました。
画面の前のあなたは、どれが一番よい句だと思いましたか? コメントをいただけるとありがたいです!(選句に参加ください)